メモ帳

忘備録

昔話

以前、アメリカはシアトルにすこーしだけ行きました。その時現地のrhythm gamerと交流して思ったことを書き留めておきます。

 

このときはまさかこんな事になるとは思って無かったよね…。落ち着いたらまた海外旅行したいです。

 

「有名人と友達なりたーい」と言われたら多少嫌悪感なり抵抗感を抱く人が多いのではないでしょうか。

私はそれに似た感情を “国際交流” という言葉を聞くたびに思っていました。

もやもやしてる感情

 

 

渡米前に友人を通じて私が訪れる事を現地の音ゲーコミュニティに宣伝してもらっていたおかげもあり、数多くのプレーヤーと交流できました。

私は現地プレーヤーに「どうして日本人は海外勢よりスコアが出せないのか、現地のプレーヤーの平均値、練習方法etc...」を聞きまくってバーサスも沢山していただきました。

ひとしきり遊んだあとは、皆で夕飯食べに行ったんですが、このあたりで「日本と変わんないなぁ~」とふと思いました。私は友達を作ることに専念した訳ではなく、ゲームが好きでその行動の結果が、こうなっただけ?というか。

 

「自分の趣味を追求した結果、同じ志を持った人が集まって仲良くなった」だけで「アメリカ人と友達になりたかった」訳じゃないってことに気付きました。

 

私はここで自分が “国際交流” という言葉に感じる違和感に気付くことが出来ました。

言い換えるとその人の属性と友達になりたい訳ではないってことです。

属性を例えるならば、肌の色・国籍・生まれつき持っているもの・所有しているもの(車とかお金とか)・その人が属しているグループ等です。

 

「他人の国籍と友達になりたいと思った時点で、その人個人よりも国籍が目的になっている」のが “国際交流” への違和感への正体でした。

 

だって “国内交流” って言わなくない?笑

 

決して国際交流という言葉が悪いと言ってるわけではなく、国籍を第一目的にしてるのが良くないと思ってるだけなので勘違いしないでいただければと

結果として国際交流になるならそれはとても素晴らしいことだと思います。

 

他人との交流をするときにはその人の属性を第一に考えるのではなく、その人個人が好きなこと・趣味・性格・関心etcに焦点を当てられるようにすること。それが国も言葉も人種も越えた真の “国際交流” なんじゃないかなぁと感じた旅行でした。

 

 

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肩を組む世界の子供たちのイラスト